「キモくて金のないおっさん」問題について考える

 

「キモくて金のないおっさん」という言葉をご存じでしょうか?

2015年ごろにインターネットから自然発生的に使われるようになった用語です。

その名の通り、「キモくて、金のない、おっさん」のことを指します。

ちいかわ(なんか小さくてかわいいやつ)の対義語ですね。

 

 

耳馴染みのある使いやすい言葉が、テンポよく並んでいるので、一見すると「キモくて金のないおっさん」はおもしろワードに聞こえます。

しかし、実はこれ、社会問題を可視化した言葉なのです。

「キモくて金のないおっさん」を言い換えるのならば、見た目が劣り、経済力も社会的地位も持たない、中年男性のこと。

こういうふうに書くと、何が問題なのかおわかりいただけるかと思います。

昨今、たびたびニュースになる「無敵の人」につながってきます。

(↑この「無敵の人」という表現はあまり好きではありませんが)

 

 

結婚しなくても、就職しなくても、しあわせが手に入る時代を生きる若いみなさんには理解できないかもしれませんが、その昔、異常な時代がありました。

結婚して、子供をもうけて、正社員になって、会社で出世して、一戸建てとマイカーを買うことが「しあわせ」の象徴であり、みんながそれを目指した時代です。

国民全員がひとつの神を信じて、ひとつの方向に突き進むときのパワーは凄まじいものがあります。

このマンパワーによって、ニッポンという国はその昔、栄えたのでした。

そんな大きな繁栄のしわ寄せが、「しあわせの定義から外れた人たち」に降りかかったわけです。

 

 

ここまで経済的な視点から「キモくて金のないおっさん」を見てきましたが、元凶は格差だけではありません。

いろんな問題が絡み合って、固結びになっているコブの部分。それが「キモくて金のないおっさん」です。

たとえば、ルッキズム(外見至上主義)の問題。

「キモくて金のないおっさん」は、決して救われない社会的弱者とも表現されます。

これは、女性や幼い子供(美しき弱者)にしか救いの手が差し伸べられない“残酷な現実”につながります。

女性・子供・おっさんが、等しく支援が必要な境遇だったとしても、おっさんは後回しにされるどころか、途端に「自己責任」論が振りかざされる。

こういったルッキズムの闇も関係しているのです。

 

 

他にも、「子どもが迷子になっているから声をかけたら通報された」「おはようと声掛けしたら事案として地域アナウンスが轟いた」といったエピソードも、広義では「キモくて金のないおっさん」問題に関係してきます。

上記のエピソードたちは、しばし「おもしろエピソード」としてSNSで消費されます。

しかし、その裏にはご近所づきあいの希薄化や、性犯罪者の管理・監視問題など、社会全体の問題が潜んでいるのです。

片面から見れば喜劇ですが、もう片側から見れば大きな問題が見えてきます。

これらの問題が解決されないまま、たらい回しにされて、ここでもまた「キモくて金のないおっさん」に押しつけられています。

 

 

こういった「なんかおかしいよね」「何か間違っているような気がする」「でも、何がおかしいかわからない」という問題について、私たちはまず“知る”必要があります。

その存在が見えていなければ、そもそも救うことができないからです。

そこで、若い人たちが多く使っている「LINEスタンプ」という形で問題提起してみることにしました。

「キモい!」「貧乏人め!」「お~い!おっさん!www」と指をさして笑うのではなく、「もしかしたら、明日の自分の姿なのかもしれない」と“自分事”として考えてみてください。

存在を知り、自分がもしその存在になった時にどうやって生活を立て直すのかを考えることが重要です。

そうすることによって、彼らをどう救えばいいのかが見えてくるはず。

みんなで、みんなが、住みよい世界がつくれることを願っております。

今、まさに苦しい想いをしている人たちがひとりでも多く救われますように。

この記事を書いた人:セブ山