僕は悪口が大好きです。
どれくらい好きなのかというと、自分が誰かの悪口を言うのや、誰かが誰かの悪口を言っているのを聞くのはもちろん、誰かが自分に対して言ってきた悪口も大好きです。
たまに、自分は悪口を言うけど、自分は悪口を言われるのは嫌だという人がいますが、内心「もったいない」と思っています。めっちゃ生きた情報になるのに!
だって、悪口ってその矛先にいるターゲットを傷つけてやろうと思って振りかざされた武器なわけじゃないですか。
ということは、その武器を持っている人が「これが一番、相手を傷つけられる」と思って選んだ言葉っていうことになりますよね。
それって逆に考えると、悪口を言っている本人が一番振りかざされたら嫌な言葉っていうことです。
つまり、悪口を言う時って、相手を攻撃しているように見えて、実は自分の弱点を晒している状態だと僕は思っています。
誰かが悪口を言っている姿を「へぇ、あの人はこの武器で殴られたら嫌なんだ」とニヤニヤ見ながら飲む酒が一番うまい。日本酒がよく合う。
また、自分に向けられる悪口は、「自分が客観的にはどのように見られているか」というのを読み解くのにも役立ちます。
たとえば、(勝手に名前を出して申し訳ないのですが)「ヨッピーの方が面白い」「永田の方が面白い」という悪口も、たまに僕のところに飛んできます。
そこから読み取れるのは、「この悪口を言っている人は、ヨッピーさんと俺を同じカテゴリーに入れているんだな(てことはオモコロ読者だな)」「この人は、永田くんと俺を対をなす存在として位置付けているんだな(てことは最高ラジオ聴いてるんだな)」ということがわかります。
だって、僕(セブ山)に向かって「志村けんの方が面白い」「松本人志の方が面白い」という人はいないわけじゃないですか。
そうやって「〇〇の方が面白い」「〇〇の方がいい」と比べられるということは、それを言っている人からは、比較しているものと同じカテゴリーの似た存在に見えているということです。
そんな悪口ビッグデータが集まれば、「そっか、自分は今こういう感じで見られているんだな」というのが見えてきて、じゃあここを直した方がいいな、こっちに向かった方がいいなと冷静に自分のことを考えることができます。
このように、人から向けられた悪意って、いろんな意味を含んでいて、すごい面白いんですよね。
悪口、おすすめです。
そういう意味では、僕は自分のことを「悪口のプロ」だと自負しております。
そんな悪口のプロである僕が選んだ「今年言われて嬉しかった悪口」をご紹介します
前フリが長くなりましたが、ここからが本題です。
まずは、こちらから。
これは、ネットに書き込まれたものではなく、知り合いから「私の友達が言っていたのですが」という前提で、人伝えに聞いた悪口です。
わざわざ「あの人がこんなこと言ってましたよ」と告げ口してくるなよというところは置いておいて、(「私の友達が」と言いながら、それを言ってきた本人がそう思っているんじゃないかと怪しんでいますが、)僕はこれを言われた時すごく嬉しかったです。
その悪口を言った人は、どうやら僕が「悪意」をコンテンツにしているのを見て、気に喰わないと思ったようです。
たしかに、思い当たる節はいくつもあります。たとえばヒモ塾とかヒモックマとか。
「ヒモ」というネガティブなものを、イベントやLINEスタンプにしています。
他にも最近だと、インスタ映えを小馬鹿にするスタンプとか。
そういった本来なら、人にはなるべく隠しておきたい「最低な行為」や「不の感情」をオープンにして、それをネット記事やイベントにしてお金にしているのが許せなかったみたいです。
でも、この悪口も裏を返せば、セブ山は最低な人間だけど「何でもお金にしている」という部分は評価してくれていますよね。
単純に、僕を批判するなら「セブ山は最低な人間だ」でいいわけですし。
わざわざ「何でもお金にして」と付けているということは、マイナスなものを、ちゃんとお金にできている(エンタメに昇華できている)という部分は、認めてくれているんですよね。
そこがすっごく嬉しかった。
人生は何が起こるかわからなくて、ハレの日もあればシケの日もありますが、「セブ山はそんなシケの日も生きていける能力がある」と悪口を通して逆説的に認めてもらえているような気がして非常に嬉しかったです。
来年も「笑えないもの」を「笑えるもの」に変えられるようにがんばろうと勇気づけられた悪口でした。
そして、もうひとつ嬉しかった悪口がこちら。
今年はありがたいことに書籍を出させていただきました。
ネット上でおこなった実験・検証の他に、炎上経験者へのインタビューや、中高生アプリに翻弄された男の子へのインタビューなど「インターネットで遭遇する変わった人たち」に取材してきたインタビュー記事も収録された一冊です。
そんな「インターネット文化人類学」に対して書き込まれていたのが、上記の「これ全部、セブ山の創作だろ」です。
「こんなこと書き込まれていましたよ!!」と僕に教えてくれた人は、「苦労して取材対象者を見つけてきて、時間をかけて話を引き出した労力を無視して、それはないだろ!!」と僕の代わりに怒ってくれていましたが、僕はむしろ、この悪口はめっちゃ嬉しかったです。
だって、「セブ山はこんな面白い話を創作で書ける」と思ってくれているってことじゃないですか!?
そもそも創作小説は、完成に行き着くまでに、いろんな取材をしたり、文献を読み漁ったりして得た知識を、上手く組み立てて創作するわけです。 なんなら「創作」の方が大変なんです。
この悪口を言っている人は、おそらく「嘘をついてズルして記事を書いている」というニュアンスで「創作」という言葉を使っているのだと思います。
ということは、「その嘘をつくための(創作するための)、めちゃくちゃな労力をすっとばして、セブ山は才能だけで書いている」って言ってるようなものですよね、これ。
悪口を言っているようであって、根本では「インターネット文化人類」のことを評価してくれている、というのが伝わってくる良い悪口でした。
来年は小説の執筆に挑戦してみようかなと、ちょっと勘違いしちゃいそうになるくらい嬉しかったです。
そんなわけで、創作だろと悪口を言われるくらい信じたくない真実や想像を超えるヤバい奴が満載の「インターネット文化人類学」よろしくお願いします!
ぜひ年末年始に読んでみてくださいね!
今年もありがとうございました!
[追記:2018/1/9]
そういえば、もうひとつ言われて嬉しかった悪口があったなと思い出したので、年が明けちゃいましたが追記しておきます。
それが上記の「セブ山のLINEスタンプ芸、飽きた(あきた)」です。
言い回しは異なりますが、Twitterで2人ほどこういった意味のことをツイートしてくれていました。
たしかに、これも心当たりがあって、僕は最近たまにLINE画面のスクショを記事の中に組み込んでいます。
たとえば、「40種類の別れて」とか「チンポで描いたスタンプ」とか。
こういった表現を最近、多用していたので、「セブ山のLINEスタンプ芸、飽きた(あきた)」という悪口が吹き出したのだと思います。
でも、僕はこの悪口がすごく嬉しかったです。
悪口上級者の方は、もうわかっていると思いますが、この悪口の嬉しいところは、名前のなかったものに名前をつけてくれているところです。
よく考えてください。この世に「LINEスタンプ芸」なんて言葉はないんです。
なのに、この悪口を言っている人は、嘲笑のつもりで無意識に「LINEスタンプ芸」と命名してくれています。それも「セブ山の」という冠をつけて。
ものを創ったり、歌を作ったり、漫画を描いたり、記事を書いたりしている人たちの原動力は、突き詰めると「まだこの世にないものを生み出したい」だと僕は思っています。
名前がなかったものに(自分ではなく第三者が)名前をつけたということはまさに、「まだこの世になかったものを生み出せた」ということではないでしょうか。
世紀の大発明でもないし、ひとつのジャンルを確立させたわけでもありません。それでも、「スタンプだけで会話を成立させる長めのLINEスクショ」に「LINEスタンプ芸」という名前がついたのは僕にとっては喜ばしいことでした。
名前がないものに名前がつけたということは、今後、誰かが長めのLINEスクショを使って記事を書いても「セブ山っぽい」と言われるということでもあります。
そんなわけで2018年も、まだ誰も見たことがないものを生み出せるように、小さなことからコツコツがんばりますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。