アンテナの低さは罪ではない

性差の問題やルッキズム、脳や心の病について無理解な人を見ると、良い悪い以前に「ダッセェなぁ〜」と思うのですが、これは「アンテナが低くてダサい」というよりは「情報の取捨選択が下手くそだからダサい」と感じているのだと最近ようやくわかりました。
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「世の中にはいろんな人がいる」という当たり前のことが理解できていないのは、アンテナが低くて、自分とは違う価値観を持った人の意見が全然入ってきていないからだと今までは思っていました。だって、他の価値観に触れたら、容易に「世の中にはいろんな人がいる」に辿り着けるはずだから。(と僕は思い込んでいたから)
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でも、インターネットのごく一部でしか流行っていないものを、みんな知っているもののように話す人(いわゆる、自称情報強者)や、新しいカルチャーに冷笑的にしか接することができない人(これは何?)などを見た時も、同種のダサさを感じたことによって、「あれ?アンテナの高さ低さは関係ないかも?」と思うようになりました。
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それよりも、どの情報を重要と捉えるか、自分事として吸収するか、の取捨選択が重要で、そこの弁(べん)が上手く機能していない人は、どんなにたくさん情報を得ても、結局は消化・吸収されないから、僕は「ダサい」と感じるようです。どうやら。
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アンテナの低さは罪ではなく、感度の鈍さ(痛みへの鈍感さ)こそが罪なんだと、私のダサレーダーは申しております。

この記事を書いた人:セブ山